やさしさのゆくえ

私はおおよそハタチごろまで、”善人として生きていこう!”と宣誓していた。

ここで言う善人とはポイ捨てをしないとか列に横入りしない程度のモラルを持ち合わせていて、困っている人が居れば必ず手を差し伸べるような人(ココ重要)の事を差す。

なぜそういった人生の道しるべを進もうと思ったのかと言うと、

日本中の人全員を百とすると、その内20%ほどの方は善人なのだと信じていた。そこそこ輩や悪人ばかりだとしても、そういった善人の人が報われるよう、

またその善人の人たちが私に会ったとき、私が恥ずかしく思われないようにしようと。

私は物心ついたころからそう思っていたので、前述の生き方を守ってきた。

 

 

しかし、私が大人になり社会にぎゅうと揉まれ始めた時期にその生き方を止めたのだ。

理由は二つある。

まず一つ、善人は20%も居ないなと、ふと見えてしまった。10%もいない、5%は居るかなとは思うけども、思ったよりそんな人は少ないなと思って、市民権が得れないなと思ったこと。

そして二つ目、そういった善人はあんまし報われてないよねって悟ってしまったこと。

私の友人の元カノがそりゃあいい人で、イヤな事があって落ち込む人が居れば深夜11時にも関わらず悩みを聞きに行く。週に一回、老人のケアをするボランティアを自ら買って出る。

でも結局、上京して初めて勤めた会社の先輩にいじめられウツになり今は帰省して友達とも恋人関係を解消してしまった。

そのほかも、”あ、この人はもしかすると、善人かな?”と思い普段の生活やどういった人生を送ってきたのか聞くと、こりゃマイッたあんまり報われてない。

 

その時思ったのだ、人の事を第一に考え優しさを持つ人が報われないのはおかしい、と。

でも社会の不合理を問うても碌な返答が帰ってこないことも知っていた。

だから止めたのだ。