苦いのが大好き

 

秋の恵み

 

庭に植えてあるピーマンから実が取れた。シュッとしたピーマンなのでいかにも獅子唐ような見た目だが、小ぶりなだけである。

 

私はピーマンが昔から大好きで、チンジャオロースや煮びたしになんでもバクバク食べた。ピーマンの肉詰めは逆にピーマンの苦みが感じにくくなるのでむしろピーマンだけ剥いで単独で食べていた。

 

比較的安価で食いごたえがあるので、貧乏な学生時代も弁当のおかずに重宝した。

 

 

 

庭でとれたピーマン

 

 

でも幼少期に友人に話すとピーマンは苦手な人が多かった。ピーマン以外にも、苦い獅子唐、パセリなどは食べれないので、と私の皿に寄越してきた。

 

でもみんな嫌いなままでいいと思う。私がその分たくさん食べられるからね。

 

 

 

 

 

 

悪口の用法容量はほどほどに

 

 

最近講談にハマっている。今特に熱を上げてるのは神田伯山師匠に聞き入っている。

 

伯山師匠はラジオの「問わず語り」から入って、そのあと講談を聞いたらなんて才能の持ち主が居るものだと思った。中村仲蔵を聞いた時のあまりの迫力と演技の繊細さに一発で見入ってしまい、それから他の講談も見漁っている。

 

 

しかし問わず語りでは基本的にリスナーや芸能人の悪口か下世話なシモの話しかしない伯山師匠。でも今のような何かと、コンプライアンスでガチガチになっている中でああやって素直な気持ちを全国ネットに乗せられる人が逆に貴重だと思う。

 

結局人間は、他人の悪口や偏った意見が大好きなのだ。パート先では同僚といけ好かない店長の悪口を言うだの、ツイッターでは芸能人に誹謗中傷している輩が多い。なにか普段の生活で抑圧されたものがあるのか、単に仲間と共通の話題をやり玉に挙げているのかは知らないが。

 

別に私は悪口がすべて悪いとは言わない。私だってめちゃくちゃ言うこともある。でもそればかりが生きがいになっている人がネット界隈では特に見受けられる。人生楽しいことが探せば山ほどあるのに、悪口だけに時間を費やすなんて空しいと思う。

 

 

毒を吐くときは吐いて、それ以外では何か趣味をするのがある種健全であろう。サブカルでもスポーツでもエロでもそれは問わない。自分の心の栄養になる事をまんべんなくするべきだ。