気にしがちな人に生きづらい世の中

 

親から聞く、昭和って”こんな人”が居てさ、と

 

例えば、

他人とあまり馴染めなかったり、

言葉で物事を表現できない人だったり、

常にカンカンだったりする人。

 

でもそんな人でも、普通に生活していて、干渉されずに流れて生活していたんだろうと思う時代。

 

私は平成生まれ、平成育ちで、

別に平成にもそんな人はいた。そして令和にもそんな子が出てくるんだろうと思う。

 

でも私が言いたいのは、それをわざわざ他人や本人や家族が、気にするような時代になってしまったんだと思う。

 

昔なら「あの人変わっているね~」で終わっていたのが、

統合失調症

うつ病

ADHD

自閉症

気分症、

季節性障害、

起立性障害、

 

全て名前を付けて、区別して白黒つけてレッテルを張る。

 

良いこともある。

医学が進歩して、それら問題を解決するために薬を出したり、療育することによって解決できたりする。

でもそのおかげで、本人は無駄に苦しんだり、

家族は眠れないくらい心配したり、

他の人はうわさ話をしたりする。

それが健全であろうか。

 

私の友達にいなくてよかった。

私の子じゃなくてよかった。

私じゃなくてよかった。

 

誰もが口に出さないだけで思っている。でも実際はそれに悩んでいる人が居る。

 

「実際はそんなことないのに、他人に言われて気にする人」

「そうかもしれないが、別に気にしない人」

それは器質的には違うのだろうか、いや私は変わりなんてないと思う。

 

大事なのは許容すること、そして無関心になる事だと思う。

 

そうやって気にせずみんな生きればいいと思う。