好きな事だけしていたい

誰かが言った「労働は尊いもの」なんてことを。普段生きている私がそれを聞いたら即座に一笑に付している。

 

長男だった私は幼少期からおじいちゃんに可愛がられ、畑や田んぼによく連れていって貰った。私もおじいちゃん子だったので、誘われるといこういこう♪と気前よくついていった。

 

畑でイチゴを収穫してこっそり家に持ち帰る前に食べたり、草刈りの丸ノコを使わせてもらったりもした。あまりに草刈りが楽しすぎて、隣の他人の畑の草も勝手に刈っていた。おじいちゃんには何も言われなかったが、たぶんバレていたろうと思う。

 

 

そのため田んぼで米つくりも一通り経験した。苗撒きでは毎回籾(脱穀して殻がついたままの米)をパレットの土に撒く作業を行っていた、ベルトコンベアに乗せてハンドルをグルグル回すのが楽しかったからだ。

 

苗撒き用のベルトコンベア 播種機と呼ぶことを今初めて知った



そのあとパレットを田んぼに並べ、水を用水路から水を汲んで張り終わるまでをゆったり眺めていた。寝起きのカエルが水を得て、田んぼのそこら中に元気にぴょんと飛び回っているさまを見るのは好きだった。

 

稲刈りは毎回必ず手伝っていたが、しょうじきあまり好きではなかった。稲の細かい塵が飛んで首や顔がかゆくなるし、米俵はものすごい重かった。体に密着させて腹に力を入れて持たないと腰が痛くなる。しかしあの経験があったから、重いものを持つのも慣れて今でもそんな苦にしていない気がする。

 

1日中米俵を運んでいると、黄金色に生い茂っていた稲畑は次第に田んぼの原っぱになる。それを見ると誇らしい気分になった。

 

おじいちゃんが普段めったにくれないお小遣いをくれるのも特別だった。お金のこともあったが、私はおじいちゃんの田んぼの手伝いは進んで行った。それは労働とは思っていたなかったから。

 

おじいちゃんが好きなのもあったし、田んぼ自体が昔から遊び場だったので単純に面白かった。

 

労働か楽しみの違いは自分で進んで行うかそうでないかの違いかと思う。お金と責任が発生するかは一番ではないとこの年になってわかる。

全部の仕事がそうなればいいなって思う。